若旦那家康
犬ならフラットになれるか?
集団創作において平等の関係というのは難しいけど、いかに全員の関係をフラットにできるかを考えつづけている。
演劇で公演するのに、演出に力が集中してしまう問題、いや問題かどうかはわかんないけど、限られた時間の中でお金をもらってみせるクオリティに持っていくなら演出家が必要というのは思い込みではないだろうか、演出家なんて近代以降じゃないの?ケチャとかに演出家なんていないような気がするし。けど、そういう人がいないと創作できないのだろうか。
色々な出自でそれなりに集まった黒い犬なら、あえて意識的に演出家をなくすことができるんではないか。今年はサマーキャンプだけど、次にやるときにこの犬の群れを平等にできなくないかということをまさにサマーキャンプで試したい。それぞれの向き不向きや趣味嗜好とは関係なく、演劇を作る役割をくじ引きで決めて全員がその役割のプランをドンでだして、話し合いで接合してみるということがやりたい。
と、
ここで、すぐに問題が出る。
この企画自体、誰かが決めないと、くじ引きを作ることができない。
演出家不在にするフラット集団に行く前に、企画者不在にできない。
知っていた気がする、演出家よりも企画者が力を持っているのか。
なんてこった!なんてパラドックス!
けど頓挫してはいけない、だって試してみる場だから、自然発生的に演劇公演を作るためにあえてまずは企画してみたんだからという、不条理。その不条理を押し込んでまずは動かしてみないとすすまない。
その過程を書きたいけど、時間がない。
そうこれ、まとめる時間がないのよ。
だいたいみんな創作を生業にしている集まりだけど、演劇だけやっていても、一個だけをそこにかけることができない。それぞれの環境の中でやっていっていて、それも尊重しないといけない。それを追いやっては集団によるパワハラじゃないか。という自分への言い訳と不甲斐なさがあるが、このぐるぐるした逡巡が夏の魔物なのだと思い、ずっと夢想する。
レポートは散文的にホワイトボードの画像と共に、思い立ったら黒い犬がツイートすることでもっと考えをまとめようと、今の段階では、思う。
それまではここまでにして、魅力的な仲間のレポートを読もう。